07リクとレン

レンの家、レンの部屋。毛足の長いラグの上で座って話をしているレンとリク。レンが部屋で過ごす時は、3人娘は続きとなっている控え部屋で待機しているので今は2人きりだ。

あの会以来、リクは度々レンの元を訪れるようになった。最初はレンの腕を心配してとの事だったが、今の理由は分からない。
自分とは関わらない様にしている筈のリクが積極的に接して来るのか分からず最初は警戒していたレンだったが、その眼差しや声音から本当に心配されているのを感じ取ってからは警戒を解いた。
最近は途絶えていたとはいえ幼い頃からの付き合いがあり、共通の思い出や話題があった事も手伝って打ち解けるのに意外と時間は掛からなかった。そしてリクが聞き役に回りレンの話を聞いてくれるせいか、相談相手として話す事も多くなっていた。
「何か最近、変なんだよね。ケイとカイ」
「どんな風に?」リクが落ち着いた声で先を促す。
「カイが機嫌悪くなる時があって、ケイが気を使ってるって感じかな」
「それは、どんな時に?」言いながら空になっていたレンのカップに新しい紅茶を注いでやる。それを手にとって一口飲んだレンがその時の様子を思い出しながら話した。
「ケイと2人で本の話してたりとか、転びそうになってケイが抱き止めてくれた時とか・・・一昨日バイクで出掛けた時ケイの方に乗るって言ったらそれからずっとカイが怒ってて」むうっと唇をきつく結ぶ。先の展開に察しが付いたリクが苦笑する。
「何でそんなに怒るの?って聞いたら『知るかよ』って言われてケンカになった」
「仲直りしたのか?」優しく聞いてくるリクに首を横に振る。
「だって先に帰っちゃうんだもん。ケイは許してやってくれって言うけど、カイが何か言ってくるまで知らない」つん、と唇を尖らせるレンを見てリクが微笑む。
「その内謝って来るさ」
「うん」リクの言葉に安心したように表情を和らげた。
   可愛らしい、様々に表情を変えるレンを見て素直にそう思える。
何故急に、こんな風にレンと関わる気になったのか、リクは自分でも明確な理由が分からない。きっかけとなったのはあの会でのレンとマオとの1件だろうか?ともかくあれからリクの中でレンをに対する認識は180度変わったと言っても過言ではない。触らぬ神に何とやらという扱いをするつもりでいたのは何だったのか、今は側に居て出来る事があればしてやりたいと思う。その変わり様を1番笑いたいのは他ならぬリク自身だった。
 本当に、どうしたっていうんだろうな?
そんな事を考えているとレンが自分を呼ぶ声が耳に入って来る。
「リク、リクってば、どうしたの?」顔を寄せて覗き込んでくる大きな瞳に思わずドキリとする。
「ああ、悪い。少し考え事をしていた」
「じゃあさっきオレが言った事聞いてないんだ」ぷう、と頬を膨らませる。
「悪かったよ。もう1度言ってくれないか?」柔らかな緋色の髪を撫でる。
「やだ」フイ、と横を向いてしまう。
「どうして?」横向きの頬が少し赤くなる。
「そんな何回も言う話じゃないから」
  何でだろう、異様なくらいに可愛く思えるのは。
「レン、頼むよ。聞かせてくれ」視線が合うように覗き込んで甘く、優しく言った。
「・・・ジュンと居るとドキドキする事があるって言ったの」チラリと視線を向けて話す様もまた可愛らしいと思う。
「どういう時に?」
「最近、よく『かわいいね』とか『綺麗だね』ってジュンに言われて、大体がいつものノリで笑いながらとかなんだけど・・・たまにちょっと違う感じで言われる」その時を思い出したのか更に頬を赤く染めた。
「じっと見つめてきて言ったりとか、後ろから抱き締めて言ったりとか」
胸の辺りをきゅっと掴んで話を続ける。
先日2人で列車に乗ったのだが、かなりの混雑で席には座れなかった。
「こっち、着くまで開かないから」とレンをドアの前に立たせた。そして自分はレンの前に立つと両手をレンの顔の横に突く。
真正面だし、近い。そう思うと胸がドキドキしてまともにジュンの顔を見られなかった。
「ゴメンね。こんなに混むと思ってなかった」ジュンはレンとは反対に真っ直ぐに見つめてくる。
「ううん」頬が熱くなっているのを感じて目を伏せる。動き出した列車がカーブに差し掛かるとそれに連れて乗客が押される様に動く。しかしレンはドアに背を預けているし、ジュンが盾の様に前に立っているのでその塊に押されるような事はなかった。少し急なカーブでどっと背中に乗客の圧を受け、ジュンの体がよりレンと密着する。
「苦しくない?」
「うん・・・ジュンこそ」
「俺はヘーキっていうかむしろラッキー?」結構きつい体勢だと思うのだが、ジュンは何でもないという風だ。
「ラッキー?」首を傾げるレンの耳元に口を寄せて
「だってこんな近くでレンちゃんの顔見れるもん」と囁き、嬉しそうにニッコリと笑った。その笑顔に掴まれたみたいに胸が締め付けられ、より激しく鼓動を打った。
「どこから見ても、キレイだね」
「そ、そんなに褒めても何も出ないよ?」擽ったいやら恥ずかしいやらで顔を上げられず、ちらりと上目遣いに見たレンに再び笑顔を見せる。
「今ので十分だよ」そうして目的の駅に着くまでレンはずっとドキドキしていた。

そこまで聞いたリクはクスリと笑って、ジュンの方が一歩リードしてるな。と心中で呟いた。
カイとジュンはおそらくレンに惹かれている。しかしカイはまだ自分でもよく分かっていないのだろう。一方、ジュンは自分の気持ちも、そしてレンの気持ちも分かっていてそれを行動に移しているのだ。
「レンは、何でそうなるのか分かってる?」コクリと頷くレンを見て、学生の頃何人かと付き合っていたのを思い出す。
 恋愛感情が分からない程初ではないか。
確か付き合った相手にはレンの方から告白していたように記憶していたので、好きになったら積極的に行動するのだと思ったリクは 「ジュンにはまだ伝えないのか?」と聞いた。するとレンは揺れる瞳でリクを見つめた後、俯いてしまう。
「・・・言わない」ポツリと言った。
「どうして?」不思議に思ったリクが聞いたが、レンは自分の膝の上で拳を握り締めたまま何も言わなかった。何か言い辛い事があるのだと察したリクは「言いたくないなら言わなくてもいいから」と優しく頭を撫でた。
暫くそのまま黙っていたレンは、顔を上げると3人娘が待機している続き部屋に視線を向け、静かに、と言う様に唇に人差し指を当てるとそっと立ち上がってリクの手を引いた。続き部屋とは反対側にある寝室へと音を立てないように歩いて行く。途中でオーディオを操作して音楽を鳴らしてから寝室に入った。ゆっくりと静かにドアを閉めてしまうと音楽が聞こえなくなる。レンはベッドに腰掛け、リクはその前に座った。
いつも側にいるあの3人にも聞かれたくない話なら今まで誰にも言っていない可能性が高い。それ程に言い辛い、そして辛い話なのだろうか、と思いながらリクはレンが口を開くまでただ黙って待っていた。
その沈黙にリクの気遣いと優しさを感じる。小さい頃も再会してすぐの時も大して自分に関心がなさそうだったリクが、理由は分からないにせよ優しくしてくれて、話を聞いてくれる。レンにとってもただの知り合い程度だった筈なのに、今は不思議と心が安らいで何でも話せてしまうような気になるのだ。
これからレンが話そうとしている事は近く親しい者にはひどく心配させるだろうから言い辛く、いっそ全く関係のない他人の方が言い易いかもしれないという類いの話なのだ。しかしそれでも言おうと思えたのは相手が今のリクだったからだ。全てを信頼している訳ではない、けれども彼になら話せる、いや聞いてくれると思えた。下唇を噛んだ後、静かに話し始めた。
「学生の時、オレが付き合ってた人いたの知ってるよね?」
「ああ3人だったか?」そうだと頷く。
「オレ、大人しい感じの男の人が好きで、付き合ってって言ったのも皆オレからなんだ」リクの記憶に間違いはなかったようだ。
「最初から好きだって言ってくれた人も段々好きになってくれた人も、皆優しくていい人だった」
「そうだな。見た感じもそんな人だったよ」
「それでその内手を繋いだり、キスしたりして・・・もうちょっと先にも進みかけたんだ」そこまで言ったレンはまた下唇を噛む。そして今まで俯き加減だった顔を上げ、笑顔で言った。
「でも、ダメだった。オレの体ってどっちでもないから、そのせいかな?性欲もないし、触られても・・・感じないみたい。痛みはあるのに気持ち良くはなれなかった。皆すごく気を使って優しくしてくれたけど結局最後までは出来なかった。それからは何かぎくしゃくし始めて・・皆、別れて欲しいって言うんだ。その時だけは、何でこんな体なのかなって思ったよ。男か女だったら、こんな別れ方しなくて済んだんじゃないかって」リクは知らず自分の拳を爪が掌に食い込む程握り込み、話の内容とは裏腹の笑みを浮かべるレンの顔を見つめていた。
何か、声を掛けてやりたいと思ったがすぐには出てこなかった。
「でもさ、オレの事フったなんて言うと色々大変だから最後のお願いでオレからフった事にさせてもらったんだ」確かに、周りではレンが振った事になっていた。学校の取り巻き連中もうるさいだろうし、イチヤに従兄弟の兄に3人娘にとレンを大事にしている者達がレンを振った男に何もせずにいるとは思えない。
「だから・・・」笑顔だったレンの瞳が揺れて涙が浮かぶ。それを指先で拭って言葉を繋いだ。
「怖い。ジュンが好きだって言ってくれても・・また」リクは気付いたら思わず手を伸ばし、力を抑えられずにぎゅうっと音がしそうな程にレンの体をきつく抱きしめて「いいんだ。泣きたかったら泣けばいい」と耳元で囁く。
「・・っ」と短く息を吸った後、堰を切った様に声を上げて泣き始めるレン。その背中や髪を撫でてやりながらリクは目を閉じる。
  そんな時こそ興味がないモノにする様に切り捨ててしまえばいいのに。自分を振った男の心配なんかしてやらなくてもいい。その為に今まで誰にも話さず、泣きもせずにいたのか?
普段は相手の意向などお構い無しに振る舞っている様に見えて、1度でも惚れた男相手だとここまで情に厚いのか。それがリクには妙に不安定に思えてイチヤを初めとする者達の度を超した過保護ぶりが少し理解出来る様な気がした。
レンが落ち着いて来た頃に涙に濡れた頬に手を添えて見つめる。
「ジュンの事は焦らないでいいと思う。今はドキドキを楽しむくらいのつもりでいたらいいんじゃないか?」
「・・うん」話した事で多少なりとも気が軽くなったように見えるレンの涙を拭ってやる。
「体の事も、俺は心配しなくていいと思う。レンが体での結び付きを望むなら、愛し合う方法はいくらでもあるんだ」
「ん」小さく頷いたレンを今度はふわりと包む様に抱き締めた。リクの胸に顔を埋める形になったレンは、気持ちが安らいでいくのを感じた。
「不思議。話を聞いてくれる時もだけど、こうしてると何か安心する」その言葉を聞いたリクはとても幸せな気分になった。
「変だね。昔はこんな風に話したり出来るなんて思わなかった」
「俺もだよ。でも今はレンが俺に話してくれるのを聞きたいと思うし、レンが安心出来るっていうならこうしていたいと思うよ」
顔を上げたレンが「ほんと?」と聞いてくる。
「ああ。レンが呼んでくれるなら、俺はいつでも駆け付けるよ」その時のレンの瞳には複雑な心情が表れていた。嬉しさと疑いと不安が入り雑じっている。
「嬉しい、けど、どうして?」
「さあ。何でかな。自分でもよく分からないんだ。おかしいだろ?こんな急にさ」正直に言ったリクがはにかんで笑う。「今はレンを見てると何だか放っておけない気持ちになる。話を聞いて、レンが何を考えているのか、感じているのか知りたいし、もし悩んでいるなら一緒に考えたいと思う」背中を優しく撫でながら言うリクの表情は慈愛に満ちている。
「さっきレンが安心出来るって言ってくれた時、すごく嬉しかったよ。レンの力になれたのかなって」リクの顔をじっと見つめながら聞いていたレンはその言葉に嘘はないと感じ取った。
「うん。リクのおかげで気持ちが楽になったよ。ありがとう」前にも見た、あの美しい笑みを浮かべた。
いつも、こうして笑っていて欲しい。リクは心の底からそう思った。
その後は寝室から元の部屋に戻って世間話などをした。
帰り際、リクの袖を掴んだレンが言った。
「今度はそのままレンの部屋に来てね?」この家に来ていきなりレンの自室に入る事はない。まずは玄関で執事に出迎えられ、応接室で待たされ、レンが来てもその場で話して終わる場合もある。
それらを飛ばして部屋に上がってもいいという事はレンの信用を得たという事だ。何より自分をレンと呼んで話すのは心を許した相手に甘えたりする時だけなのだ。リクにはそれが物凄い栄誉の様に感じられてゾクゾクした。
「ありがとう、またいつでも呼んでくれ」優しく頭を撫でるとリクは帰って行った。

その様子を見ていた3人娘はレンが認めた相手なら構わないと思っているようで「リクが来たらいつでもいいから部屋まで通れる様にしてあげてね」というレンの指示にもすぐに対応した。

意外にも、無関心を決め込んでいたリクが逸早くレンの信頼と部屋までのフリーパスを得たのだった。

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