それから数日後、レンはアイスクリーム山へ来ていた。
家の庭を守る動物達は、皆アイスクリーム山に住んでいて、その所有者であるリオンという人物から一定期間借りている。
今日は貸出期間の終了した動物達の返却と、新たに借り受ける動物の選定を行うのだ。
選定と言っても選ぶのは動物達の方で、山のある場所で立っているとその人物を”守ってやってもいい”と判断した動物達が近付いてくるので、その動物達を連れて帰るのだ。
選定を済ませたレンが連れ帰る動物達の名前をリオンへ報告しに行くと、他にも客が来ているようで、応接室で待つようにと案内された。するとそこには、あの大会以来一切の接触がなく、それを気にも留めていなかったマオが居た。
[・・・」当然口を聞くつもりはない。マオから離れた椅子に腰掛けると窓の外を眺める。
マオはそんなレンをじっと見つめていた。
暫く経つとリオン付きの使用人、カグヤが入って来て「申し訳ないのですが、時間がないとの事でお2人ご一緒に入って頂きたいと主人が申しております」と深く頭を下げた。
「俺は構わない」マオが立ち上がる。レンも名前の報告だけなのでさっさと済ませて先に出ればいいと思い、立ち上がった。
「すまんな。ちと急用が入っての」リオンは見た目は金髪の美少年だが、喋り方は老人のようだ。年齢不詳との噂もあり、謎の多い人物だった。
「いいよ。すぐ帰りたいから」と動物達の名前を告げる。
「確かに」リオンが頷いたのを見て部屋を出ようとすると呼び止められた。
「少し待て、こちらの客人と共に帰れ」
「何で?オレはもう終わったんだけど?」振り返ってリオンを見据える。
「帰りが少々複雑なのは知っておろう?こちらは初めてじゃからな、案内してやって欲しいのじゃ」目を細めて笑みを浮かべながら返された。
「カグヤの役目でしょ?それは」
「だから急用でな、儂もカグヤも時間がないのじゃ」
「申し訳ありません、レン様。お詫びと言っては何ですが、次回お越し下さる時には特別種をお目にかけますので・・・」側に立つカグヤが耳元で囁く。特別種とは気難しく、リオンやカグヤ以外の者には姿すら見せない動物達の事だ。その姿はとても美しく、一度だけでも見たいと願う者が大勢いる。レンもどんな姿をしているのか興味はあった。
「いいの?」
「はい。ご迷惑をお掛けするのですから」カグヤが微笑む。
「分かった、早く済ませて」と腕を組む。
「では、気を付けての」ヒラヒラと手を振るリオンに見送られて2人は部屋を出る。
アイスクリーム山は不思議な場所で動物達がいる以外にも時折別の時空間に繋がったりする事がある。屋敷の中も同様で、間違った扉を開ければどこへ行くか分からないのだ。
「複雑って言うけど、決まった色の扉を開けていれば問題ないから。青以外は触らないで」歩きながら事務的に説明するレン。確かに造りは複雑で、真っ直ぐかと思えば曲がりくねった廊下、様々な色や形の扉が現れる。
「来た時は普通だったけどな」ボソリとマオが呟く。「そういうもの、らしいよ。行きは簡単、帰りは複雑」チラリとマオに視線を向け、そう言いながら青色の扉のノブを握った。
「おい」マオが扉を見たまま言う。
「何?」その顔を怪訝そうに見る。
「青、だよな?」
「そう、青以外は触らないで・・って」ふと目の前の扉を見たレンが言葉を失う。先程まで青色だった扉が真っ黒に染まっていた。慌ててノブから手を離そうとしたが離れない。
「やだ、何で?」
「何してんだよ」マオが手を伸ばして固く握られたレンの指を開かせようとすると内から扉が勢い良く開き、あっと言う間に2人を中へ吸い込んだ。
「よろしいんですか?リオン様」渋い顔をしたカグヤが言う。
透明の目玉を覗きながら笑うリオン。
「構わぬ。元々縁がある者同士じゃ。ちと手助けしてやったに過ぎぬ」リオンの手元には色付けされたガラス玉の様な様々な色の目玉が入った箱がある。
それらを通して人を見るとその人の年齢だったり、過去だったりと様々な物が見える。客人として来た者達をその”目”を通して見るのがリオンの楽しみの1つだった。
銀色の目玉を手に取り、カグヤの顔を見る。カグヤの顔の横には自分の顔が浮かんでいる。
「今日、あのマオとかいう男をこれで見た時には驚いたぞ?レンの顔が浮かんでいたのだからな。きっと恋仲になるのじゃ」クスクスと笑う。
「確かに、その人と何かしらの縁がある人物が見えますが・・恋愛とも、良いものばかりとも限りませんよ?」
「構わぬ、構わぬ。面白いものが見られればそれで良いのじゃ」声を上げて笑うリオンは目玉の箱をカグヤに渡し、扉の絵が書かれた紙を机に広げる。
2人が吸い込まれた黒い扉の絵を見つけ、そのノブを指先で触ると扉が紙一面に広がり、中の様子を写し出した。
2人は走っていた。全力で。その後ろから得体の知れない影が這い寄って来る。
人生で初めての全力疾走だが、当然普段運動していないレンがマオよりも速く走れる筈もなく、次第に遅れる。
「早く来いっ」振り向いたマオに言われるが既に限界である。
「先っ・・行って」どうにか言葉を発したレンは速度を緩める。
リオンの悪戯だ。不思議な山の主は不思議な力も使うらしい。初めてここへ来た時にも似たような目に遭った。何かに襲われたりすれば多少の痛みは伴うが大怪我をしたり死ぬような事はない。
立ち止まって呼吸を整えようとしたレンを戻って来たマオが抱き上げるとそのまま走り始めた。
「ただの悪戯だから、大丈夫。下ろしてっ」とレンが言ったのだが、マオは下ろそうとはしなかった。
次の瞬間、景色が全く別の物へと変わる。そしてまた別の何かが現れて追い掛けて来た。何度かそんな事が繰り返されて、次に2人が現れた場所は延々と広がる空間の中にポツンと建っている建物の前だった。ずっとレンを抱いて走って来たマオはさすがに息が乱れている。
周りを見て何も現れないのを確認したレンは今度こそ下ろしてくれと頼んだ。
「離れるなよ」ドアの前に立ったマオが言って、手では開けずに足で蹴破った。中へ入ると普通の住居の様だった。しかし、入り口のドアを閉めた途端、真っ黒な雨が降り注ぎ、窓の外を塗り潰してしまった。
「今度は閉じ込めかよ」と舌打ちしたマオは建物内を確認し始めた。
レンはキッチンに行って水栓を捻り、水を出してみると見た目には異常のない水が出てきた。
「今の所は大丈夫みたいだな」一通り見てきたマオが冷蔵庫を開けたり、ガス栓を捻ってみたりしてキッチンも確認する。
「そう、リオンの悪戯だから、あの子の気が済んだら出られると思う」後半は抱き抱えられていたので何もしていないのだが、初の全力疾走が堪えたのか一気に疲れてきた。キッチンと続いているリビングのソファに横たわる。
「向こうにベッドがあるからそこで寝ろよ」
「いい。動きたくない」喋るのも億劫に感じ始めたレンは目を閉じた。
溜め息を吐いたマオがその体を抱き上げ、寝室へ連れて行った。レンは既に寝息を立てている。
そっとベッドに横たえると靴を脱がせてやり、暫くその寝顔を眺めてから部屋を出て行った。
そうして家という匣の中に閉じ込められた2人は、いつ終わるかも分からないこの時間を共有する羽目になった。
目を覚ましたレンが窓の外を見ると真っ黒ではなくなっていたが、何かの植物の葉で一面覆われていた。
まだ外へは出られないのだろう。
空腹を感じてキッチンへ行く。冷蔵庫や戸棚を開けて調理せずに食べられる物を探しているとマオが起きて来た。レンが何をしているか察したようで
「少し待ってろ」と言うと食材や調理器具を出して来て料理を作り始めた。手際の良さから慣れているのが窺えた。
程なくしてレンの前に朝食?が置かれる。
「ありがと・・いただきます」一口食べたレンは「美味しい」と素直な感想を述べた。
「そうか」ボソリと応えたマオも食べ始める。
特に話す事もなくほとんど無言ではあったが、その後も食事や風呂の支度はマオがしてくれた。昼夜の区別もなく、時計もない状況で眠くなったら眠るというサイクルが何度か繰り返された。
用のない時は互いに寝室で過ごしていたのだが、閉鎖環境で時間の概念もなくする事もないという状況は普段3人娘や他の使用人が側にいる環境で過ごしているレンにとっては精神的に堪えるものがあった。
日数にすれば10日程経ったと思われた頃、食事の用意をするマオに話し掛けた。彼には自分から話す事など2度とないとあの大会以来思っていたが、今は何でもいいから気を紛らわすものが欲しかった。
「いつも料理しているの?」レンから声を掛けて来た事に少し驚いたようでレンの方へ顔を向けるが「大体は」と答えた後また作業に戻った。
「1人暮らし?」
「まあそんなもんだ」
「そんなものって?」
「離れに住んでて家族とは顔を会わさないからな」
「何で?」
「別に会いたくねぇから」レンが次々とする質問に淡々と答えるマオ。
「ご家族って何人?」
「1人」
「お母様?」
「いや、親父」
「お父様ってどんな方なの?」その質問に作業の手を止め、レンを見る。聞かれたくない事だったのかと思ったが「あまり関わらねぇからな。一言で言うなら勝手なヤツ、かな」と普通に答えが返ってきた。
「寂しくない?」そんな事を聞いたのは、自分も父親との関係が良好とは言えないからだろうか。
「別に、もうそんな年じゃねえし」マオはレンと同い年で21歳だった。確かにもう親から自立していく年齢だ。
「そっか。そうだよね」と頷くレンは自分に言い聞かせているようだった。
その後もレンから質問し、それにマオが答えるという形で会話が続いた。
料理が出来て食べ始めた時にマオから口を開いた。
「なあ」
「何?」
「こんな事、今更言ってもアンタには何にもならないだろうけど・・悪かった」食べる手を止めて向かいに座るマオを見つめる。
確かに、謝ってもらった所で言われた言葉は消えないし、謝って欲しいとも思っていなかった。ただ、マオの表情から、本心より後悔している事が感じられた。
「もういいよ。終わった事だから」さらりと言われた言葉に苦しそうな顔をするマオ。
「そうか」
「1つ、言わせてもらうなら、アンタじゃないから」
「?何が」
「だから、アンタなんて言わないで」
「・・姫?」
「何でそっち行くわけ?ちゃんと名前があるんだから名前で呼んでよ」呆れ顔になるレン。戸惑っている様な顔をしたマオは暫くしてから遠慮がちにその名を口にした。
「レン・・」
「うん」満足そうに頷き笑みを浮かべる。マオはその顔から目が離せなかった。今までレンを見る度ズキズキと痛んでいた胸がギュウっと締め付けられた。
立ち上がってテーブル越しにレンに顔を寄せる。
「マオ?」名前を呼ばれると更に締め付けられる。
「何でもない」苦笑して体を退き、再び食べ始めた。
それからは普通に会話をする様になり、マオは最初の頃の態度からは信じられない程に甲斐甲斐しくレンの世話を焼き、レンの習慣や好みまで把握するに至る。
「普通に時間が経ってたらどれくらいなんだろうね」風呂上がりのレンを洗面台の前に座らせ、髪を乾かしているマオに言った。
「さあな。1ヶ月は余裕で過ぎてるだろうな」
「だよね」
「早く出たいか?」乾いた髪をブラシでとかしながらマオが言う。
「うん。マオだって同じでしょ?」実際はどうだかは別にして、長い間ここで過ごしている様に感じているレンが、早く出てジュンに会いたいと思うのも仕方がないだろう。
「さすがに一生とかは無理だな」と言うが今すぐ出たいという風ではないようだ。
「何か余裕?」
「まあ、レンみたいに外に会いたいヤツがいる訳じゃないからな」ジュンの事を言われてほんのり頬を染める。
「ジュンとは付き合ってるのか?」髪をとかし終えたマオが鏡越しにレンを見つめる。
「ううん。気持ちは伝え合ったけど」
「カイは?アイツもレンの事、好きだろ?」
「告白、された」
「で?」後ろに立つマオを振り返る。
「そんなの、ジュンが好きなのにカイも好きなんて」
「好きなのか?」
「分からない」
「場所、変えるか」リビングへと移動し、温かい飲み物をレンに淹れてやり、隣に腰を下ろした。
「分からないって?」カップに口を付けるレンを見つめる。
「そのままの意味だよ。嫌いじゃないけど・・好きかどうかは分からない」
「嫌いじゃねーなら好きなんじゃねーの?」あっさりと言い切るマオ。
「でもジュンみたいにドキドキとかないし、っていうか何でそんな事聞くの?」自分でも分からない気持ちをあっさりと決められて少しムッとしている。しかしマオはそれには構わずに「現状把握」と言う。
「?何の」眉間に皺を寄せる。
「レンの、オトコ関係」
「??何で?」
「知りたいから」
「それこそ、何で?なんだけど」
クスリと笑ったマオが顔を寄せる。
「分からない?」初めて見せるその笑みは男の、雄の色香を濃く漂わせていた。
色事の経験のないレンにはそれがまだ何かは分からなかったが、思わずドキリとした。
「分からないよ」
「俺もレンのオトコになりたいから」
「・・・」目を大きく見開いたレンはマオの言った事がすぐには理解出来ずに絶句する。
「嫌いだよね?オレの事」
「そうだな。最初見た時は生意気そうで、会った時はムカついたし」
「じゃあ何で?」
レンの頬に片手を添える。「泣き顔、見たからかな?」あの時の涙が伝った辺りを親指でなぞる。
「細くて弱そうなくせにやたら気が強くて、それがムカついて痛い目見させて泣かしてやればスッキリすると思っていた。全くの見当違いだったけどな」自嘲する笑みを浮かべて頬から手を離す。
「胸が痛んで、レンの事が頭から離れなくて。生まれて初めて、自分のした事を後悔した」少し目を伏せたその顔を、とても綺麗だとレンは思った。こうして見るとマオが整った顔立ちである事に改めて気付かされる。
「罪悪感と恋愛感情は違うよ?」勘違いでは?と問う様にマオを見る。
「それくらい分かる」苦笑したマオに頬を軽くつねられる。
「胸が痛んでも目が離せなかった」顔を寄せてうっとりと囁かれる。
「その時、初めてレンを綺麗だと思った」
ドキリと鼓動が跳ねる。
「あれからレンの顔を思い出す度に胸が痛むくせに、もう一度会いたいなんて思うし。正直、自分でもおかしいんじゃないかと思った」
「・・・・」
「ここで、初めてレンが俺に微笑んだのを見て、レンが欲しいんだと気が付いた」
サラリと緋色の髪を撫でた手を滑らせて顎に指を掛ける。
「他のヤツと同じでもいい、レンの中に俺という存在を刻みたい」ジュンともカイとも違う告白は扇情的で、レンは妙な胸のざわめきを覚えた。それから逃れる様に身を退こうとするがもう片方の手で腰を引き寄せられる。
「それは無理だよ」眉根を寄せるレンに「何で?」と迫るマオ。
「ジュンが好きなんだもん」それにカイに対しての気持ちもはっきりとしていない。
「別に構わないぜ?ジュンもカイもいたって」当たり前の様に言われて驚く。
「どうして?嫌じゃないの?」普通は他にも相手がいるとなると快く思わないだろう。しかし「レンは好きになったら1人だけとか選べないだろ?」と、これも当たり前の様に言われ、思わず大きな声を上げた。
「はあ?」
「よく考えてみろよ。今までの人生で欲しい物我慢した事あるか?」
「それはっ・・あまりないけど。でも、恋愛とは別問題だよっ」キッとマオを睨む。
「そうか?カイがいい証拠だと思うけどな。普通、1対1で付き合うヤツはな、ジュンと付き合うつもりなら、多少惹かれててもアイツに思わせ振りな態度は取らないと思うぜ?」
「べ、別に思わせ振りなんて」
「じゃあキッパリ振ってやったのか?」
「それは、まだ」むしろ独占するように他の相手と遊ぶのを禁じたなどとは言えない。
「ふーん」探る様な視線を向けられて思わず目を逸らす。
「まあそれはその内分かるだろうから、いいか」良くはない、がこれ以上続けると自分に不利な方へと進みそうなので何も言わなかった。
「あとは、まあ、奪い甲斐があるっていうのもあるしな」
「闘争本能とかいうの?」あのケンカ祭りを思い出して少し呆れた顔をする。「そうだな。その点は多分アイツらも同じ様なもんだろうから、もし選べなくても案外すんなりいくと思うぜ?」
「そんなワケないよ」むうっと唇を曲げるレン。
しかしマオは自信がある風でニヤリと笑う。
「ともかく、俺も候補に入れといてくれ」
「だから無理だってば」と抗議するがマオはすっかり候補者入りを果たした気でいて、その後レンが何を言っても取り合わなかった。やがて話は別の話題へと移り、ふとマオがレンの手を取った。
「聞いてもいいか?」
「何を?」
「身体の事と前のオトコの事」少しレンの身体が強張ったのを手から感じ取り、優しく握る。それを見ながら呟く様に答える。
「今更だし、いいよ」
「じゃあ単刀直入に聞くが、最初のオトコって童貞か?」本当にいきなりである。が、レンも今更と言った以上は素直に答えた。
「初めてだって言ってた」マオは予想通り、と頷く。「ソイツのせいだな。後の2人とも上手くいかなかったのは」
「何でそんな事?」
「最初にヘタクソなのに当たったから、妙なトラウマになって尾を引いてるんだろ?」
「彼のコト悪く言わないでよ。優しくしてくれたのに」睨んで来るレンの頭をポンポンと叩く。
「優しいからって上手くなる訳じゃねえだろ?特にレンの身体は気遣いが必要だったんだ。童貞で舞い上がってるヤツが上手く出来たなんて思えないな」
「でも、何も感じなかったのは彼のせいじゃないよ。それに、そういう欲求自体もないみたいだし・・」俯いてしまうレンの顔を覗き込む。
「レン、それはレンの身体がちゃんと感じた事がないからだ」
「何でそんな風に言い切れるの?」
「身体の造りなんてそう大きくは違わないからな」
「でも」
「試してみるか?」
「え?」大きく見開かれた瞳が不安に揺れる。
「本番まではしないから心配するな。嫌だろ?ジュンより前に他のオトコとヤるのは」
「あっ当たり前だよ!」顔を赤くするレン。
「でも、試すって・・何を?」
「触られて、レンが気持ち良くなれるか」レンの手を握っていたその手がゆっくり腕へと撫で上げる。
ぞくりと今まで感じた事のない感覚が肌を伝う。
「レンが嫌な事はしない。もうあんな風には泣かせるのはゴメンだからな」自嘲混じりに優しく微笑まれてまた鼓動が跳ね上がった。そして、どういう訳だか断る気になれなかった。
「約束、だよ?」揺れる瞳で見つめられて、マオは一瞬押し倒したい衝動に駆られたがそれを押し殺す。
「ああ、しない。絶対に」努めて優しく微笑んで見せ、レンを安心させる。
それは、レンの身体に対する不安を取り除いてやりたいという思いもあったが、作戦でもあった。
ケイは今のところは何もないようだが、ジュンやカイ、リクもどういうつもりかは別にしろレンとの絆を深めている。レンを傷付けてしまった自分は、今更どう足掻いても彼等より先んずる事は出来ない。
ならば心よりも先に身体から、という訳だ。
誰よりも先にレンの身体に快感を生み出してやりたい。初めて抱くのが自分でなくとも、感じられる身体にしたのは自分なのだと、その相手は意識せざるを得ないだろう。
そしてレンにも、初めての相手として記憶されたらいいと思う。
「おかげで、時間は売る程あるからな。ゆっくり楽しもうぜ?」
「・・・」小さく頷いたレンは何やらいけない事をしている気分になった。
後ろめたさと共に妙な高揚も感じる。
そうしてマオは有り余る時間を、レンの身体に快感を覚えさせる試みに費やす。最初は触れるだけ、次は撫でるだけ、と方法を変え、それぞれの感じ方をレンに言わせる。
触れる場所もレンが嫌がらない所は全て触れた。
きめの細かい肌は触り心地が良く、いつまでも触れていたい気にさせられ、時計がないのをいいことに、レンが疲れたと言うまで続けていた。
最初は緊張から固くなっていたレンだが、「1度や2度となんかで分からない」とマオに繰り返し触られている内に、触れられる事に慣れてきてリラックス出来るようになっていった。すると、ただ触られているだけだったり、擽ったいだけだったりした感覚が場所によっては別の物へと変わっていく。
当然、マオもその変化を見逃さない。
微かに反応を返す場所は執拗なまでに繰り返し触れた。
「別ので触ってもいいか?」ある時、マオが言った。
「別?手以外に?」
「あるだろ?」とレンの手の甲に口付ける。
「唇?」
「と舌な」ペロリと掌を舐めた。
「どうせ試すなら色々した方がいいだろ?」
少しの間、躊躇いに口をつぐんでいたが
「わかった」と頷いた。
同意を得たマオは秘かに胸を躍らせる。
「じゃあ上、脱いで」
「な、何で?」
「背中触りたいから」背中に触れる事は嫌がらなかったが、手でするのとは違って服の間から滑り込ませる事は出来ない。
「・・」くるりとマオに背中を向けたレンは上着を脱いで胸に抱えた。
目の前に晒された白い背中に思わず唾を飲む。
「綺麗だ」耳元で囁いて細い項に口付け、舌を這わせた。
手とは違うその感触に肌がざわりとした。
唇と舌で吸ったり舐めたりされるのと同時に手でも触れられる。
「ん」身体の奥が疼く様な今まで感じた事のない感覚に襲われて小さく声を洩らした。
「気持ちいい?」
「わかんない。何か、いつもと違う」
首の付け根をきつく吸い、自分に凭れさせる様に後ろから抱き締める。
「手、貸して?」服を押さえている手の片方を取り、人差し指と中指を舐めて口に含む。男のソレにする様に、舌を這わせたり吸い上げたりしてから掌や手首にも舌を這わせた。
「ぁっ」ゾクゾクと背筋を痺れの様なものが這い上がる。初めての感覚に不安がるレンが背後のマオを見る。
「やだ・・何かヘンだよ」
「痛くはないだろ?」空いた手で足を少し開かせて内腿を撫でるとピクリと身体を震わせた。
「痛くない、けど」
「じゃあ大丈夫だ」耳朶を甘噛みし、耳の後ろを舐めると背をしならせて身を捩った。
そうしてマオが手を止めた頃には息が少し乱れていた。
「レン、どんな感じだった?」後から覆い被さる様に抱き締められる。
「初めて、だった。ゾクゾクってなって・・身体が熱くなるみたいな」
「嫌だと思ったか?」
初めて感じたそのものに対しての戸惑いはあるが、気持ち悪いとか嫌だとかいう感情はなかった。
「ううん」
「もっとはっきり分かるまで、続けてみるか?」細い腕を撫でながら言った。
「・・うん」
それが何度か繰り返された後、レンがそれを快感だと認識した頃に、突然2人は外へと放り出された。
「レンさ・・!」少し出てくるのが遅い、と玄関先までレンを迎えに来た3人娘が玄関扉の前に立つレンとマオを見て身構える。
しかし2人は暫く互いの顔を見つめ合った後笑い始めた。2人が体験したあの長い時間はやはりあの匣の中での時間でしかなかったのだと分かると何やら気が抜けたが、2人にしか分からない体験が連帯感も生み出していた。
「レン様?何でこんなヤツと?」階段を駆け上がって来たなのがマオを睨み付けるがレンに宥められる。
「もういいの。昔の事だから」レンは何年かぶりに出てきた様な心境だった。
「昔って、レン様、ついこの間ですよ?」
「話は車でするから、帰ろ?」となのを促し先に行かせる。
「じゃあね、マオ」
「ああ」階段を下り始めるレンの腕を引いて耳元で囁く。
「また、続きがしたかったら呼んでくれ」
「うん」ほんのりと頬を染めたレンは頷き、階段を下りて行った。
「そら見ろ、儂の言った通りではないか。恋仲じゃ恋仲」扉の描かれた紙を片付けるカグヤに鼻高々にリオンが言う。
「まあ、そういう風にも見えましたが、閉じ込められたせいでこういう関係になったのだとしたら?」2人が閉じ込められた空間の、映像は見られるが音声までは聞き取れない。表情などからなんとなく推察したカグヤがリオンに視線を流す。
「儂のせいじゃと言いたいのか?」
「いえ?」
「いいか?2人はここへ来たのもああなるのも全て運命だったのじゃ。儂のした事すらもその歯車に過ぎぬ」
「リオン様がそう仰るのなら」カグヤの含みのある物言いに少し不満気に目を細めたが「まあよいではないか。面白い物も見たし、儂は一眠りするぞ」と欠伸をして伸びをすると立ち上がって部屋を出て行く。その後に続いたカグヤが部屋の扉を閉めた。