ソウ①

ドーナツ島は宝石や鉱石の産地で、多くの人々が採石所で働いている。ソウもその中の一人で、今日も朝から現場に入っていた。
終業のサイレンが鳴ると、皆それぞれに片づけをして外へと出て行く。 門へと続く列の中でぼんやりと前を見ていたソウの視界にスーツ姿の男が入る。
「ソウ兄」男は笑顔を見せて手を挙げた。脇に停まっていた車の後部座席に2人で納ると「ソウ兄って変ってるよな」と顔を見ながら男が言った。
「何がだよツカサ」
「ソウ兄ならもっと上のポストで働けんのに、現場でコツコツやってる方がいいってのが」ツカサと呼ばれた男とソウは従兄弟にあたり、2人共がこの島を始めあちこちにある鉱山を所有、運営している一族の一員だ。全てがというわけではないが一族の多くの者が主要なポストに就いていて、ソウより年下でまだ学生であるツカサも、1つの採石場の運営に関わる立場にあった。
「いいじゃないか、好きな仕事なんだから」少し眉間に皺を寄せると「わかってるよ」残念そうな口調で返された。彼はソウには上のポストでも十分にやれる才があるのを感じ取っていて、出来れば一緒に仕事かしたいのだ。しかし当人には全くその気がないときているので惜しいと思っている。
「そういえば、新しい鉱脈見つけたって言ってたな」
「ああ。パンケーキ島の端にあった。もうすぐ現場に入れるようになる」
「へぇ。誰がシキるんだ?」
「親父。俺も補佐でついて行く事になってる。しばらくは掛け持ちでいずれはあっちに移る」 窓の外を眺めるツカサの横顔がどことなく嬉しそうなのを見て、はたと思い出す。
「パンケーキ島、だったな。確か」ソウに視線を移したツカサがニヤリと笑う。
「そ、俺としては移るってより帰るって感じだな」彼は幼い頃パンケーキ島で生活していた。同じ幼稚園に通う1つ年上の男の子が大好きで、毎日『結婚して』と迫っていたらしい。小学校に上がる前にドーナツ島へ越して来る事になったのだが、パンケーキ島へ戻ると言って大暴れしていた。
その時父親に『仕事も出来ない、稼ぎもないくせに結婚なんて100万年早い』と一喝され、“仕事が出来て稼げる男”になる事を胸に誓って今の立場まで上ってきたのだ。
「今度は堂々プロポーズ出来るな」
「んー告白はしても、プロポーズはまだ先かな」最初は“手段”としての仕事だったが、いつの間にかやりがいというものを感じるようになり、大切なものになっていたようだ。
「もっとでかい仕事一人で任されるようにならないとな」
「そうか」一端の社会人のような言い分を聞き、成長したなぁ等としみじみ思うソウに突然の質問が降ってくる。
「ソウ兄は?」何の事を聞いているのか分からない。
「・・・なにが?」当然聞き返す。
「そろそろフッ切れた?」今度は聞き返さなかった。何を聞かれたか理解できたのだ。
「フッきるとかそういうんじゃないから」あからさまに不機嫌な表情を見せる。
「だったらなんでいつまでも恋人作らないんだよ」
「・・・出会いがない」
「ウソつけ。よく遊びに出てるだろ」
「だから、惹かれる相手との出会いがないんだよ」
「ふーん」納得いかないといった顔のツカサ。ふいに手を伸ばし、ソウのポケットから携帯電話を取り出した。
「おいっなに・・」文句を言おうとしたその顔前にソウを振った相手、イトコのレンの写真や映像が次々に現れる。
「やっぱフッ切れてねーじゃん」保護が掛かっているのを確認し溜息混じりに言った。
「ちがう、未練じゃない」携帯電話を奪い返しながら言ったソウの言葉は嘘ではない。 全くの未練がないと言えば嘘になるが、今でもソウにとってレンは特別な存在なのだ。

年に数回、ソウやツカサも含めた一族全員が本家に集まるのだが(特にすべき事の為に集まる訳ではなく大人達はいつの間にか酒を飲み始め、子供達は子供同士で遊び始めるというのが常だった。)他人が紛れ込んでいても分からないくらいの大人数で、実際互いにどこの家の誰だか分からないまま話しているなんて事もしばしばだった。
そんな中にあってレンは一族の者で知らない者はいないくらいに有名だった。それは母親譲りの見かけの良さだとか、特異な身体事情だとかのせいもあるのだろうが、大きな理由は人気度だろう。
これは一族の者に限った事ではないが、大人も子供もレンに好意を抱く者の多くはアイドルに夢中になるファンの様な熱中ぶりを見せる。(実際、通っていた学校ではファンクラブが出来ていた。)
その顕著な例が、本家の主で一族の長的存在であるイチヤという人物で堂々と悪びれる事なくレンを贔屓している。そしてレン自身はというと生まれ持っての性格か、幼い頃からちやほやされてきたせいか、結構ワガママなのだが大抵の場合(特に好意を抱いてない者も含め)レンだからで済まされていた。
ツカサはこの異常にも思える周囲のレンへの熱中ぶりについていけず、幼い頃にはレンが皆を惑わす悪魔か何かのように見えていた。
一方のソウは当然、好意を抱いている者の部類で、この3つ年下のイトコを可愛がっていた。結構な無茶ぶりをされてもその後に『ありがとソウちゃん』とか『ソウちゃんすごい』とかニッコリ笑顔で言われると、もっともっと何かしてあげたくなるのだ。レンの方もソウを気に入っていたようで、2人で屋敷から抜け出して庭から続く森へ行ったりしていた。 2人だけで過ごす時間は楽し過ぎて、一瞬のようにも思える程過ぎ去るのが早く感じられた。 時間を止められる能力が欲しいと真剣に願った時期もあったくらいだ。
また、母親同士が姉妹なので互いの家に遊びに行ったり泊まったりすることもあり、レンがソウの家へ泊まりに来る時は前の日から落ち着かずソワソワしているソウに母親が『本当にレンちゃんの事が大好きなのね』とからかい混じりに言うのも毎度の事になっていた。

そうして幼い頃はただ可愛らしいと感じていたレンに対する感情は、成長していくに連れて変化し恋心へと発展していき、数年前のある日ソウの家へ遊びに来ていたレンに思い切って告白したのだ。
しかし、離れていても鼓動の音が聞こえそうな程緊張しているソウとは対照的に落ち着いた様子のレンに「ごめんね。ソウちゃん」とあっさり返されてしまう。
「・・・誰か、付き合ってる人がいる?」
「ううん。いないよ」

「じゃあ何で?」思わずレンの肩を掴む。
「オレにとってソウちゃんはお兄ちゃんだから」恋愛対象として見られないと言うのだ。
「・・・レン」それはソウ自身も薄々感じてはいた。自分がレンに向ける視線とレンが自分に向ける視線の温度差を。だからと言って募る思いがすぐに消えてしまう筈もない。

「レン」頭では分かっていてもそう容易く受け入れられる事も出来ない。もう一度その名を呼んで、きつく抱きしめる。宥めるような緩い動きで自分の髪を撫でるレンの指を感じながら、肩口に顔を埋める。細いけれども柔らかな抱き心地の身体と、滑らかな肌の感触に惑わされたように白い首筋に口付けた。
「ソウちゃん」窘めるような口ぶりで言った後、そっと身を退くレン。自然と間近で見つめ合う形になり、 ゆっくり顔を近づけるソウの唇にレンの指が添えられる。
「”レン”はソウちゃんにはこれからもお兄ちゃんでいてほしい」今が正にそうなのだが、一人称が”レン”と言う時は自分の要求を通すつもりなのだ。 じっと自分を見つめてくる瞳は遠慮がちな口調とは裏腹に、その瞳に捕らえたものを離さない強い輝きを放っていた。
「ダメ、かな?」甘えるように言われてソウは降参、とばかりに手を上げたのだ。フラれたというよりはうまく丸め込まれたと言った方が近いのかもしれないが、これがソウの失恋の経緯である。

奪い返した携帯電話を大切そうにしまう様子を見てため息をつくツカサ。
「なんかもう恋心でも親心でもないよーな域だよなぁ」何が近いのだろうと考えながら「ホントに、あんなどギツイののどこがいーんだか」とぼやいた。
「お前は昔からレンが苦手だったな」
「あーいうタチ悪いのとは関わりたくねーからな」
「またそんな風に言って」今度ははっきりと眉間に皺を寄せてツカサを睨む。 レンの話になると全く意見が合わない2人は幾度となくケンカをした。普段は温厚そうに見えるソウだが、意外にケンカっ早い所がある。それがレン絡みだとなると尚更で、8つも年下のツカサに手加減も容赦もしないのだ。今も不穏な空気が漂い始めたのを感じ取り、ツカサは仕方なく話題を変える事にした。崇拝ってのが近いかもな。と胸のうちで呟きながら。
「そういや、イチヤのおっさん、何か新しい会社立ち上げたって話聞いてるか?」仮にも本家の当主である人物をおっさん呼ばわりしているのはツカサくらいだろう。
「知ってる。一応株主だからな」
「え?ソウ兄が?」今まで株になど一切興味を示さなかったソウの発言とは思えない、と驚きの表情を浮かべるツカサ。
「ていうかおっさん、何でソウ兄に声かけたんだ?」レンのお気に入りであるソウをイチヤはあまり良く思っていないというか勝手にライバル視している。
「イチヤさんじゃない。レンだ」
「はあ?」そこに何故レンの名前が出てくるのか分からないツカサに説明をしてやる。
50歳を過ぎたイチヤはレンに何かを遺してやらなければと思うようになり、色々考えた結果が会社を作りレンをその会社の役職に就けるという事だった。
「さすがに自分の財産を分与したら色々面倒だと思ったんだろ」
「へぇ・・・」呆れたような声を漏らすツカサ。
「で、何の会社?」
「これ」と携帯電話を操作すると女の子が画面から浮かび上がり、歌い始めた。一見生身の人間のホログラフィーのように見えるが、良く見るとCGである事が分かる。その顔を凝視していたツカサが恐る恐る聞いた。
「・・・もしかして」頷きで肯定し「レンを元に創られてる。声もサンプリングしてミックスしてある。まあ本物には遠く及ばないけど中々可愛いよな」と語るソウを横目に思い切り溜め息をついた。こんなもの売れるのかよ?という否定的な疑問は口に出さずに、車をレストランへ向かわせた。

その後食事を済ませ、ソウの家の前に着いた時にツカサが言った。
「あ、今度ダチ同士の集まりがあるんだけどソウ兄も来てくれよ」
「何で?」不思議そうな顔をする。今まで互いの交友関係に交わる所などなかった。
「何かソウ兄に会いたいって言うヤツがいてさ、前から紹介してくれって頼まれてたんだよ」
「俺に?・・・まあいいけど」少し訝しむような顔をしたが、深くは考えなかった。
「んじゃ、詳しい事は近い内に」と言い残してツカサの車は去って行った。
その数日後、日時と場所を知らせるメールがツカサから届いた。
「1週間後か」心待ちにするわけでもない行事というのは意外に早くやって来る。
気が付けばメールが届いてから1週間経っていた。
『ソウ兄、今日忘れてないよな?車、回すから家で待っててくれよ』昼過ぎ、ちょうど昼食を食べている時に確かめの電話がかかってきた。
「忘れるわけないだろ?1週間前じゃないか」呆れた様子で返すソウだったが『ソウ兄、仕事とレン以外の事だとわりといい加減な時あるじゃねえか』と返されてしまった。その後二三言交して電話は切れた。

夜、迎えに来たツカサと共に来たのは高級といわれるホテルの最上階の1室だった。
「いつもこんな所で友達と会ってるのか?」
「たまに、だぜ?親がここのオーナーってヤツがいてさ、空いてる時に使わせてもらってるんだよ」答えながらドアを開いた。中には既に数人が居て、順番に紹介された。ツカサと同い年の者もいれば、ソウと変わらないくらいの年の者やもっと年上の者もいたりしてツカサの交遊関係の幅広さに驚かされる。
「つーかアキのヤツまだ来てないのかよ。念願のご対面だってのに」とツカサが言った直後にドアが開き、1人の青年が入って来た。
「何や。皆早よ来てるやん」変わった言葉遣いで話しながらツカサとソウが居る奥へと進んできた。
「アキ、遅いぞ」と声を掛けたツカサの方に視線をやった青年、アキは一瞬立ち止まった後何も言わずにつかつかと歩み寄って来たかと思うとソウの手を握りしめた。
「いやぁやっと会えた」笑顔でぶんぶんと握った手を振りながら言った。ソウは驚きを隠さないままアキを見た。が、どの記憶を辿ってもその顔に見覚えはなく「どこかで会った事が?」と聞いても仕方がないだろう。
「ああ、直接会うた事はないよ。俺が一方的に見かけて会いたかっただけやねん」笑顔を崩さないまま答えたアキはそのままソウを連れ、近くのソファに座った。
どこで見かけたのか等も気にはなるが、一番聞きたいのは何故その”見かけただけ”の自分にそんなにも会いたいと思っていたのかだった。難しい顔で考えていると飲み物の入ったグラスを差し出された。
「あかね」
「え?」突然出てきた名前に、グラスを受け取ろうとしたソウの手が止まる。その手にグラスを握らせて顔を近づけるアキ。
「覚えとる?」
「・・・ああ」ソウが以前少しの間付き合った事がある女の子だった。

「アイツとはガキの頃からの付き合いでな、ある時えらい落ち込んどるから理由聞いたらオトコと別れた言うて泣きよるねん」実はソウの恋愛遍歴はあまり他人に自慢出来るものではない。学生の頃は家柄や見た目に恵まれたおかげでよくモテていたので調子に乗っていたのだろう、軽い気持ちで何人もの女性と付き合ってきた。
しかし、レンへの気持ちが恋心へと変わっていった時に本気の恋愛というものを知り、当時付き合っていた彼女であるあかねと別れたのである。若気の至りとはいえ他人を傷付けてしまった事に変わりはない。償いを求められたなら出来る限りの事に応えようと思っている。
「つまり彼女の代理人というわけか」あかねの代わりに何か要求をしに来たのだと思ったソウは静かに言ったが、アキはあっさりと否定した。
「ちゃうちゃう。話はオチまで聞かな」
「?」
「まあ確かに最初アンタに会いに行こ思たんは、えー加減な付き合いして俺のダチ泣かせよったヤツの面拝んだろいうんが動機やけど」要するにケンカ売りに来る気満々だったわけだ。しかし、あかねにソウの居所を聞こうにもそれを察した彼女は教えようとはしなかった。
「しゃあないから、知り合いのツテ辿って辿って、アンタの顔知っとるいうヤツに教えてもろたんや。それでアンタの事見た瞬間にそんなんどっか吹っ飛んでしもた」
「・・・」
「一目惚れっちゅうヤツや。この人しか居らん、て運命感じたんや」再び顔を寄せて耳元で囁やかれる。
「はあ?」予想外の”オチ”にまじまじとアキの顔を見るが、構わずアキは続けた。
「ちゅうわけで、俺とお付き合いして下さい」屈託のない笑顔で言った。
会っていきなり、そして男に告白されたのは初めてだったソウは少なからず動揺し、「えっと俺、女の子専門だから」と返すのが精一杯だった。
「知っとる。ツカサから色々聞いとるから。けど、それってまだ男試した事ないっちゅうだけやん」
「いや、試さなくても分かるから女の子と付き合ってきたんだ」自分が男が好きか女が好きかそれとも両方大丈夫かなんて本能的に判断するもので、実際に自分と同じ嗜好かどうかは互いに顔を見ただけでそれとなく解るものなのだ。
「せやけどこの星に居って片方しか選ばんて損やと思うけどなぁ」別の星から来た様な物言いに思わず「やっぱり、別の星の生まれなのか?その話し方」と聞いた。
「生まれはこっちやけど、あちこち転々としててな、その時しばらく居った星でうつってしもたんや。まあ地元のヤツらにはエセて言われよるけどな」
「へぇ」と頷くソウの両肩に手を置いたアキが再び交際を迫った。
「ホンマ、試しでええから、付き合ったってや。な?」
「いや試しって」返答に困るソウの頭上から「いいんじゃねーの?」と声が降って来た。見上げるとツカサが背後に立っていた。
「新しい分野にチャレンジしてみたら?レンの事、吹っ切れるかもしんねーし」
「だから」未練なんてないと言おうとしたのを遮って「ホンマに?いやぁ、嬉しいなぁ」とアキが言った。
「ちょっちょっと待て、俺いいなんて言ってないぞ?」勝手に承諾を得た事にされて慌てて訂正をしようとしたが聞き入れるつもりはないようで、アキは力一杯ソウを抱きしめる。
「あー。もう何言っても聞かねーと思うよ」観念して受け入れてやれば?と言外で告げるツカサを睨み付けたかったが、この体勢では背後を見上げる事は出来なかった。
「ツカサ!お前が余計な事言うからっ」アキの腕から逃れようともがきながら言ったソウは突然、宙に浮いた様な感覚に見舞われた。というか実際に宙に浮いていたのだ、アキに抱き上げられて。女の子を抱き上げた事はあっても、抱き上げられた事など幼少の時以来なかったので戸惑いやら恥ずかしさやらで固まってしまう。
その隙に、と歩き出そうとしたほくほく笑顔のアキにツカサが言った。
「一応、確認しとくけどマジなんだよな?」アキとの約束もあったし、恋愛する事から遠ざかってしまっているソウに荒療治も良いのではと思いああ言ったツカサだったが、いざ連れ去られようとするのを目の当たりにすると釘の1本くらいは刺しておきたくなったようだ。
「はあ?自分何年俺と付き合うとるねん」それくらいの判別も出来ないのかと呆れたように言った。
「悪かった」
「心配せんでも、泣かすような事せえへんし。一生大事に離さんから」お試しと言った事などとうに忘れているのか、結婚の約束まで取り付けたような口振りのアキの言葉に気が早すぎるだろうと思ったツカサだったが、ちらりとソウの顔を見た後何も言わず軽く手を挙げただけにした。

そうしてアキはソウを抱き上げたまま部屋を後にした。ツカサはドアがゆっくりと閉じて行くのを見ながら、まあそう簡単には手に入らないかもしれないけどな、ソウ兄ブチ切れかけたし、と苦笑して他の友人達との会話に戻った。
ツカサの見た通り、ずっと黙っていたソウは観念したのではなく怒っていた。エレベーターの前まで来た時、底辺を這うような声で「下ろせ」と言った。アキが素直に言われた通りに下ろしてやると同時に、エレベーターが到着しドアが開いた。次の瞬間、アキの胸ぐらを掴んだソウはそのままエレベーターの中へ。鈍い衝撃音と共に壁へと押し付けた。
「勝負しろ」自分より頭一つ分高いアキの顔を睨み上げる。射殺せそうな程の鋭い眼光を放つソウの瞳に、アキの背筋をぞくりと何かが這い上がった。
「へえそないな表情も出来るんやなあ」目を細めたアキが言う。「ええやん。嫌いやないで?おてんばさんも」 動じる様子もなくむしろ楽しんでいる様なその口ぶりに、ソウの怒りは倍増した。胸ぐらを掴む手に更に力が入る。
「ふざけるなっ」
「ああ、勝負しよう言うたんやったか?ええよ?」あっさりと承諾される。
「じゃあ、俺が勝ったら、2度と俺の目の前に現れるな」アキは何も隠さず本心から行動しているのだが、ソウは全く違う捉え方をしてしまっている。自分がフッた相手の友達だという時点で一目惚れや運命云々等という言葉が信じられなかったし、罠に嵌めるまでいかなくても何か企みがあっての事に思えた。倍増中の怒りで力が入りすぎ手の甲だけでなく腕の血管まで浮いてきた。
「・・・」何か考えているのか、少し間が空いた後アキが口を開く。
「ほな、俺が勝ったら」言いながらソウの腰を掴んで身体の位置を入れ替えた。爪先で足を開かせ、その間に片足を割り込ませ、壁に両手をついて顔を近づけた。
「俺のモンになってや?お試しはナシや」
深呼吸、すると怒りが和らぐ。少し間を置くと冷静さを取り戻せるのだ。普段、喧嘩沙汰になりそうな場面ではそうやって怒りを抑える事も出来た。今の状況だって腹は立つにしろ少し冷静になれば抑えらない筈はないのだが何故か出来なかった。その結果、負けた場合の事など一切考えずにアキの条件を認めてしまった。
「分かった。好きにしろ」その言葉を聞いたアキの眼に獰猛な色が滲んだ。
「方法は?俺は何でもええよ」余裕のある言い方に馬鹿にされたような気がした。その顎に拳を突き付け「これ以外にあるのかよ」と言った。
「決まりやな」ニッコリとアキは笑った。

目を醒ましたソウを襲ったのは全身の痛みと、少し遅れてやって来た後悔の念だった。
くそアイツ何であんな強いんだよっ。地団駄踏む代わりに枕を拳で連打する。
そう、アキは強かったのだ。
結果、ソウは殴る蹴るの勝負を持ち掛け負けを喫したのである。自分は決して弱くはない、そこそこに強い方だと思っていた。だからこそ冷静さを欠いていたとはいえ勝負しようと思ったわけだが、上には上が居るというのはどんな場合にでも当てはまるようだ。

痛みに耐えながらフラりと起き上がり、水を飲もうとした時に初めて自分の部屋でない事に気づいた。おまけに何も身に着けていない。全裸である。とりあえずシーツを被り、何か飲む物を探した。ホテルの1室かと思ったが、家具や置いてある物の様子から誰かの部屋なのだと察する事が出来る。

「誰かのったって」今、ソウを自室に連れて来られる人物など1人しか居ない。
「~っ」再び襲ってくる後悔に激しさが増す。何であんなに怒っんだろう今から思えばどーでもいいじゃないかと心の中でぼやき始めた。ああ、レンに会いたい。知らず携帯電話に手が伸びてレンの写真を眺め始める。
「えらいカワイらしい子やな。その子がレンちゃんか」いつの間に忍び寄ったのか、背後からアキが覗き込んでいた。慌てて携帯電話を隠そうとするソウの手から取り上げる。
「何もせえへんって」言いながらレンの写真を次々に見ていく。
「ホンマに好きやってんやなぁ」しみじみと言われたその言葉には嫌みもからかいもなかった。

「ええよ。レンちゃんは許したる」はい、と携帯を差し出した。急いでそれを奪い返したが、ソウはアキが言わんとする所が理解出来なかった。
「許す?」
「せや。レンちゃんやったら好きな時に会うたり電話したりしてもええっちゅうことや」
「・・・」まだ理解出来ないでいるソウの顎を掴み上向かせた。
「忘れたなんて言わせへんで?自分が仕掛けてきた勝負や」
「わ、忘れてなんかいない」今だってその事を盛大に後悔しているのだから。
アキは無言で顎から手を離し、被っていたシーツを奪い取りベッドに腰掛けソウを見据えた。
「ふーん?ほな言うてみ?自分、勝ったんか負けたんか。ほんで、今の自分の立場は?」
「俺は」全裸で人前に立たされるなどかなりの屈辱である。握りしめた拳が微かに震えていた。
「目ぇ見て喋れや」自然と俯いてしまったソウにアキの言葉が飛ぶ。
「っ」顔を上げてキッとアキを睨み付ける。
「俺はお前に」
「アキ、お前やのうてアキや」再び声が飛んできた。
「俺はアキ、に負けた」ぐっと唇を噛んだ後言葉を繋いだ。「だから、俺はアキのモノだ」
アキは満足そうな笑みを浮かべた。
「ちゃんと分かってるやん」
「・・・」
「それやったら、さっきのも、ルールや言うたら分かるやろ」
「誰かと接するのには、ぉ・・アキの許可が要るって事か」
「当たり。話が早うてええなあ。俺、自分のモン他人に触られたりすんのイヤやねん」
「他には?」あるなら小出しにされるよりも1度の方が良い。
「そない何個もないて、まあどこに居っても俺のモンやいうの忘れんとってくれたらええ」笑いながらアキは言ったが、ソウには被告に読み上げる判決文の様に聞こえた。
「期限、とかあるのか?」期待も込めて聞てみる。驚いた顔をした後、アキは声を上げて笑い出した。
「何や期限て。罰ゲームとちゃうねんで?ンなモンあるわけないやろ」
つまりはアキの気が済むまで、という事だろう。。自分が撒いた種とはいえ、あまりの結果に目の前が暗くなりかけた。
苦しそうな表情を浮かべるソウに「風呂でも入って寝よか。疲れたやろ」と優しく声を掛け、浴室へと誘導した。
マンションの1室だと思っていたが、どうやら違ったようだ。浴室は下の階にあり、下の階には広々としたリビングルームやキッチンがあった。夜なのでよくは見えないが窓の外には庭が広がっているようだ。
「ここって」
「俺の家。親父は単身赴任中で俺しか居らんから遠慮せんでもええよ」確かに他に人の気配はない。
そして案内された浴室は1人用にしては十分過ぎる程の広さだった。軽く体を流して浴槽に入ろうとするとドアが開いて服を脱いだアキが入って来た。一緒に入る気なのかと驚いたが、何か言う気力もないので黙っていた。
ちらりと視線を向けると負けるのも納得出来てしまいそうな筋骨隆々とした逞しい体が目に入り、何やら更に負けを思い知らされた気がして目を閉じる。あちこちの傷がしみたり疼いたりしたが我慢していると慣れてきた

ちゃぷんと水音がしてアキが入ってくる気配がした。ぴたりと肌が触れた感触に目を開くとすぐ横にアキが浸かっていた。
「そっち、空いてるぞ?」大きな浴槽は引っ付いて入らなくても十分余裕がある。
「何や今頃照れとんかいな」
「いや、照れるとかじゃ」単に引っ付かれると狭いというだけなのだが、温かい湯に浸かって気が緩んだのかひどく疲れているのを実感し、口を開くのも億劫なので再び目を閉じて浴槽の縁に頭を凭れかけさせるとすぐに眠気が襲ってきた。しばらくその寝顔を見つめていたアキは、そっと眠っているソウを抱き上げて浴室を出た。

再び目を覚ますと翌日になっていた。
アキの姿は既になく、ツカサから仕事場には連絡してもらっているから今日は休むようにとの書き置きが残されていた。
家に帰ろうかと思ったが、体の痛みとだるさにベッドから出る気力もなかったのでそのままもう1度眠る事にした。
途中眠りが浅くなった中で階下に人の気配を感じたが、上へは上がっては来なかったのでそのまま眠りを貪った。こんなに寝たのは何年振りか、というくらいたっぷり睡眠を取って夕方にようやく起き上がった。自分の服が見当たらなかったので、クローゼットからアキの服を拝借した。1階へ下りてキッチンで水を飲んでいる所へアキが帰って来た。ソウの姿を見ると笑顔で近付いて来る。
「ただいま」
「・・・おかえり」寝起きのぼんやりとした表情でアキを見上げる。
「今起きたとこか?」寝癖のついた髪をわしゃわしゃと撫で、ソウの着ている物に目を留めた。
「服、洗濯に出しとったからな。家政婦さんが洗てくれてるやろ。もう乾いてると思うで」と言った後少し離れて全身を眺める。借りたといっても下着までは借りられない、当然ズボンもはけず、ソウが身に着けているのは腿の辺りまで隠れるパーカー一枚だけだった。
「何やエロいな」
「は?」目が冴えてきたソウが何を言ってるんだという顔をした。確かに女の子かかわいい男の子辺りがこの格好なら”彼シャツ”みたいで萌えるかもしれないが、自分はそんなタイプではない。しかしアキはソウの反応に意を介さず「今日はそのままでおり」と言った。
「はあ?何で?服乾いてるんだろ?」上だけ服を着ていると下がスースーして落ち着かない。
「ええから。その辺座っとき。メシ用意したるから。腹減ってるやろ?」メシという言葉に反応したのかタイミング良くお腹が鳴った。
「―・・・」仕方なくリビングのソファに腰を下ろした。スーツの上着を脱いだアキがシャツの袖を捲り上げ、キッチンで作業を始めた。その姿をチラリと見て料理、出来るんだ。と感心した。
ソウ自身は料理は一切しない。面倒なのでいつも外食で済ませてしまう。味にもそれ程こだわりがないので何でも適当に食べている。それは他の事にも大体当てはまるのでツカサに仕事とレン以外の事は割といい加減だと言われたのはあながち外れてはいないのだ。
しばらくするとより空腹感を増すいい匂いがしてきて「出来たで」とダイニングに呼ばれた。テーブルの上には美味しそうな料理が並べられていた。
「いただきます」1口食べたソウが目を見開く。
「おいしい」
「せやろ?もっと食べ」大盛り取り分けられた皿が目の前に置かれた。
「料理、得意なんだな」
「ガキの頃から作っとったからな。まあ美味いモンが好きっちゅうんもあるけど」
「へえ。スゴいな」
「ソウは?」
「俺は料理しないし。こだわりみたいなのもない」
「ほなこれからは俺が美味いモン、ぎょうさん食わしたるわ」
「・・・」何と返答すればよいのか分からなかったので黙って残りの料理を平らげた。

食事の後、ただ食べさせてもらうのは気が引けるので後片付けをかって出る。アキはその様子を椅子に座って見ていた。
昨日は自分の招いた大失態に混乱していたが、してしまった事はしようがない。と潔く今の自分の立場を受け入れようと思った。奴隷とまでいかなくても下僕の様な扱いを覚悟しなければならないと思ったのだが、今のアキの態度にはソウをそんな風に扱う様子は見られない。
むしろおもてなしされている感がある。どういうつもりなのか?と首を傾げても最初から勘違いしているので分り様もない。

片付けを終えてふと時計を見ると午後8時を過ぎた所だった。このまま一緒に住む訳ではないだろうし、明日は仕事に出るつもりなのでそろそろ帰りたいと思った。
「ここってどの辺り?」気を失っている間に連れて来られたので現在地が全く分からない。聞くとソウの家から2駅程離れている所だった。それ程遠くない。今なら列車でもバスでも帰れる。
「もう帰るつもりなんか?」
「明日は仕事出たいしな。構わないんだろ?」少しの間の後に「ええよ」と返ってきた。ホッとしかけたが続きがあった。
「ちゃんと挨拶して帰ってな」
「挨拶?」お邪魔しました?ごちそうさまでした?何の?と顔に出ているソウを手招く。近寄って行くと両手を握られた。アキは椅子に座っているので見下ろす形になる。
「帰ります、の」
の?
「チュウ、してや」
チュ?
「はい!?」結構な大声だった。
「出来たら帰ってもええよ?」全く悪気のなさそうな笑顔で言われた。
確かに、精神的ダメージは大きいかもな。と1人納得し、一瞬チュッとやって家に帰れるなら耐えられない程でもないよな。と笑顔のままのアキを見ながら考える。頷いてからゆっくり顔を近づけ、感触が分かる程度に唇を押し付けてから離れる。
「こ、これでいいか?」昨日会ったばかりの好きでもない相手にキスするのは妙な緊張感があった。
「あかん。チュウちゃうやん」
「何でだよっ。キスだろ?今の!!」
「ちゃんと舌も入れな」
「!!!」唇が触れあうだけのキスと舌を入れるキスとでは抵抗感が倍以上違う。嫌がらせとしては効果が倍以上になるわけだ。悔しそうに唇を噛むソウを見たアキがグイ、と首を引き寄せる。
「しゃーない。お手本見したるわ」と言ってソウの唇に口付けた。思わず後ろへと退きそうになるが、アキの手に阻まれる。彼の舌が侵入し、ゆっくり歯列をなぞる。奥へと引っ込んでしまった自分の舌を捕らえるべく歯の間から差し入れた舌が口内を這う。
「っっ」一方的にしかも男に快楽を与えられるようなキスをされたのは当然初めてで驚くべきか戸惑うべきか、いやしかし戸惑っても既に舌が、等と訳の分らない事を考えていた。
その間もアキはソウの反応を確かめるように角度を変えたりしながらキスを続ける。
「は」息苦しくなって、口を大きく開いた時に舌を絡め取られてきつく吸われた。
身体の芯が疼くような感覚に強張っていた身体から力が抜けていく。逃げなければ、とようやく思ったのだがいつの間にか膝の上を跨がされていた。
「ぁアキ、待っ」切れ切れの言葉で制止を求める。
「何?」唇は解かれたが、両手でがっしりと身体を捕らえられたままだった。
「別、別の方法にしてくれよ」
「嫌や。チュウやないと認めへん」きっぱり言い切られる。
「他にもあるだろ。嫌がらせの方法なら」ソウの言葉にきょとんとするアキ。
「嫌がらせて何の事や」
「え」とぼけているのか、本気なのか計りかねる。
「だから、アキは俺に嫌がらせしたいんだろ?」
「はあ?何やソレ」今度はアキの眉間に皺が寄る。
「いや、だって」と言いかけた所をアキが遮って言った。
「最初から、話合わせよか」さすがに噛み合っていない事に気付いたので異論がある筈もなく頷いた。
「昨日、最初会うた時に俺が言うた事覚えてるか?」
「当たり前だろ?あかねの友達で、あかねを振った俺にケンカ売ろうと思ったら、一目惚れしたって」
「それで何で嫌がらせ云々になるんや?」思い切り呆れた顔をされる。
「怪しいだろ?前の彼女のダチが出てきていきなりそんな事言われても、信じられるかよ。何か企みがあると思ったんだよ」
「あー。それであない怒っとったんか。お姫様抱っこが気に入らんで暴れ出したんかと思たわ」クククと笑いながら剥き出しのソウの腿をポンポンと叩く。

「ん?じゃあまさかマジで言ってたとか?」彼の言った事に他意がなかったのなら完全に自分の思い違いということになる。
「せやで?言うたやん。付き合うてって」さらりと言われて再び、いや昨日以上のショックに襲われてがっくりとうなだれ、両手で顔を覆った。
最、悪だ。俺最悪にマズイ事やってるじゃないか。
しばらくして顔を上げ「その色々悪かった。ごめん」と謝る。

「じゃあ”モノ”って恋人にするって意味の?」恐る恐る聞く。
「いや、それは断られたやん。俺が条件として言うたんは所有するって意味のモノや」やはり下僕か使用人か?
「でも、俺の事好き、なんだろ?」
「好きやで?」ゆっくりと腿を撫で始める手を慌てて押さえる。
「だったら何で所有なんだ?」
「形だけ恋人にしたかてしゃあないやん。けどソウが条件つきの勝負フっかけてくれたから、とりあえず体だけ確保しとこか思てな」
「か体って」
俺、男なんか抱けないっていうか、まさか俺が抱かれる側?
今更ながら貞操の危機を感じ、膝の上から下りようとしたが両手で腰を掴まれ阻止された。
「心配要らん。無理矢理犯すとかシュミちゃうし。けど、まあ」ニヤリと口端を上げるアキ。
「ソウが抱いてってせがんで来たら話は別やけどな?」
「なっ!あるわけないだろっ?そんな」自分で顔が赤くなっているのが見なくても分かる。
「だ、だったらキスさせるのもやめろよ。俺したくないし」
「それくらいはお楽しみの内や」しれっと答えるアキ。
「あ。じゃあ俺の事好きじゃなくなったら終りって事だよな?」
「そんなん、ありえへんで。けどまあ万一、そないなったらソウの好きにしてええ」
可能性はゼロではないし、人の心に絶対もない。だとすれば意外と早く解放されるかもしれないなどと考えるソウの顎に指をかけてアキが言う。
「ソウが俺に惚れたら、その時は恋人として俺のモンにしたる」
「それこそありえないだろ」
「そうか?惚れさす自信あるで?俺」その根拠はどこにあるのか、いっそ羨ましい程に堂々としたその様を不信の眼差しで見つめる。
「さて、誤解がのうなった所で続きしよか?今日は家帰りたいんやろ?」はっと現状を思い出す。何とかキスを回避しようと記憶を辿った。
「これもルールって事になるのか?でも昨日そんな事言ってなかったよな」ソウの反撃に笑みを浮かべる。確かに、他人との接触以外は特にないと言っていた。
「せやな。けど俺のモンいう事は、ソウに関する事の決定権は俺にあるいう事や」
「何だよそれ。だったら何でもアリじゃないか」契約書の隅に小さく書いてある注意事項に後から気付くパターンじゃないかと思った。ムッとしたソウに対して頭をヨシヨシと撫でるアキは楽しそうだ。思わず不満を洩らす。
「ガキみたいな扱いするなよ」
「ええやん。可愛いから撫でたなったんや」
「かわいい?」カッコいいは言われた事はあっても、可愛いなんて言われた事はないし、自分に当てはまるとも思えない。
「分かった。アキって感覚おかしいんだな」だから自分に一目惚れなんかして恋人にしたいだなんて思うのだと納得する。
「ヒドイ言われ様やな。別にええけど」頭を撫でていた手を下へと滑らせ、思い出させるように唇を親指でなぞった。

再びはっとして「今日は帰らなくてもいいかな」歯切れ悪く言った。それを聞いてクスリと笑うアキ。

再び頭を撫でながら「特別にカンニンしたる。もう帰り。送ったるから」と言った。
「いいのか?」また何か別の事があるのではと疑いの眼差しを向けるソウを膝の上から下ろした。
「行こか」手を握り玄関へ歩き出す。
「え。服は?」くるりと振り返ったアキは無情にも「今日はそのまんまでおり言うたやろ?まだ日ぃ替わってへんで」と言い放った。
「・・・・」キスよりはまし、と判断したソウはパーカー1枚のみ着た状態で家まで帰る事になった。
おまけにアキは「今日は列車がええな。」等と言い出して、列車に乗る事になってしまう。
駅までの道は夜の暗さのおかげで、それ程人目を気にせずに済んだが、駅構内に入ると当然だが明るい。周りの人達はそれぞれ思い思いの服装に身を包んでいて、自分よりも露出の高い服装の人も居たりしたが変に注目されたりはしていない。だからそんなに気にしなくても良いのだと自分に言い聞かせようと試みたが、下着をはいていない下半身のせいで落ち着くのは無理だった。フードを深く被ってなるべくアキの後ろを歩いた。
列車に乗って座席に座った時もいつもなら足を軽く開いたり足を組んだりしているのだが、今日は膝をぴったりとくっつけて裾がずり上がらないよう両手で押さえている。その様子を見たアキは笑みを浮かべた。
2人が乗った車両は割りと空いていて数人しかいなかった。
次の次で降りるのでこのままやり過ごせそうだと思っていたが、発車間際に酔っ払らった男2人が乗ってきて他にたくさん空いている席があるのにソウの隣に座った。 何やらよく分からない会話をしているだけならまだ良かったのだが、大きな身振りで話す男の手がソウの腿に置かれた。
「!」すぐに払いのけたのだが、また戻って来る。男の体ごと向こうへ押し退けようと伸ばした腕よりも早くアキの手が伸び、男の髪を掴んで座席から引き摺り下ろした。
「いて~っっぬわにすんだよっ」呂律の回らない男が文句を垂れる。連れの男も「そうらぞっ暴行らぞっ」とアキに食ってかかる。
「ああ?人のモン勝手に触りよって何ぬかしとんじゃ。ボケ」床に転がる男の顔を爪先で蹴り、ソウの腿に触れた方の手を思い切り踏みつける。車内に男のうめき声が響いた。連れの男がそれを助けようとアキに掴み掛かろうとしたが腹に蹴りを食らわされ、蹲ってしまう。
その時、もうすぐ次の駅に着く事を知らせる車内アナウンスが流れた。アキはドアの前まで2人の男を蹴り転がし、しゃがみ込んで言った。
「よかったなぁ。今日は機嫌ええからこのくらいにしといたるわ」駅についた列車が停止し、ドアが開くとホームへ蹴り飛ばした。
そして何事もなかったかのように「お騒がせしてすんまセン」と他の乗客ににこやかに挨拶してからソウの隣に腰を下ろした。
周りを見ると同じ車両内だけでなく、両隣の車両から何事かと見に来ている者までいた。しかしアキが挨拶した事によってこれ以上野次馬しようとする者はいないようで皆、元の座席に戻って行った。
車内に落ち着きが戻るとアキが前を向いたまま言った。
「あんなんに簡単に触らせたらあかんで?」静かな声音だったが微かな怒りを孕んでいるのが分かった。
「―・・・」多分向こうが勝手に触ってきたとかは関係ない。彼のモノだという自覚がないと言いたいのだ。と、昨日と今日の彼を見て感じ取り何も言わずに小さく頷いた。
「ごめんなさいのチュウで許したる」
「今?」
「今やなかったら意味ないやろ」呆れ顔で軽く溜息をつかれる。
「・・・」周りに視線を走らせる。皆本を読んだり携帯をいじったりしていてこちらを見ている者はいなかった。意を決し目を薄く閉じると彼の唇に唇を重ねた。本当はすぐに離したかったが、それでは許されないだろう。更にきつく目を閉じ、おずおずと舌を差し入れた。
アキは暫くはぎこちないソウの舌にさせるがままにしていたが、いきなり首の後ろを掴むとソウの舌を絡め取り、口内を侵し始めた。もう片方の手は裾を押さえているソウの手を払いのけ、腿と腿の間に滑り込む。
「っ!」驚きに思わず目を開いたが抵抗を許してもらえそうもないので再び目を閉じ、彼の肩を掴むに留めた。
アキの方は激しいキスを仕掛けながら腿の間にある手で撫でつつも少しずつ脚を開かせる。それに連れて裾も上へとずれていく。このままでは局部が露出させられるのも時間の問題だった。恥ずかしさのあまりソウの目尻に涙が滲む。アキはそれを見てキスを解き腿の手も引いた。ちょうど列車が減速し、ホームに入った所だった。
「立てるか?」しれっとした顔で手を差し出す。一方のソウは頬は赤く、瞳は涙で潤んでいて息も少し乱れている。が、彼の手は取らなかった。
「大丈夫」と言って1人で立ち上がる。少しフラつくが歩けない事はない。しかしまたもやアキがひょいとソウを抱き上げてさっさと列車を降りた。
駅を出てもソウに方向を示させそのままの状態で歩いて行く。自宅近くまで来た時にもう大丈夫だから。と言おうとして口を開きかけたが「黙っとき」の一言で封じられた。
ソウの自宅は高級と言われるマンションの1室だった。両親があちこちに家を買うのが趣味で、その中の1つを仕事場が近いからと使わせて貰っているのだ。部屋の前まで来た時に漸く下ろされ、鍵を開けてドアを開く。1歩中へ進んだソウが振り返ると、アキは上がる気がないのかそのままの位置で立っていた。
「送ってくれてありが」最後の言葉はアキに唇を塞がれて声にならなかった。抵抗するのは諦めているが、素直に受け入れも出来ない。そんなソウの気持ちにお構い無しにアキの舌は余す所なく口内を這い回る。再び体の芯が疼き始め、膝に力が入らなくなる。いつの間にか縋る様に彼のシャツを掴んでいた。
不意に唇を離される。解放されてホッとした気の抜けた顔をしているだろうその頭をヨシヨシと撫で、「オヤスミ」と頬にキスをして開け放たれたままのドアからアキは出ていった。残されたソウはその場にずるずるとしゃがみ込む。
これから、こんな事が日常になるのか?神経がすり減りそうだと思う。 大きな溜め息を吐いた後ベッドへ直行して眠りに就いた。

翌日、出勤したソウを待っていたのはニヤニヤ顔の後輩、ナオだった。
「センパーイ。水くさいじゃないですか」
「何の事だよ」いきなり訳の分からない事を言われ、思わず眉間に皺が寄った。
「じんサンから聞きましたよ~。彼氏の事」
「はああ?」周りの者が振り向く程の大声で叫ぶ。視界にじんの姿を見つけ、駆け寄る。
「じんサン!ナオのヤツに何言ったんですか?」
ソウより20程年上の先輩、じんはニヤリとして「昨日、あの列車に俺も乗ってたんだぜ?」と言った。ソウの顔がひきつる。
「隣だったんで詳しくは分からなかったけどよ、ほれ」と胸ポケットから携帯電話を取り出してソウとアキが写っている写真を見せた。しかもキスしている所の。頬がカッと上気する。
「ていうかいつの間に男もオッケーになったんすか?俺、今からでも立候補しよっかな~」軽いノリでナオが言う。
「やめとけ、やめとけ。この兄ちゃん相手じゃお前、張り合いも出来ねえよ」
「そっすかねえ」完全な誤解をされている。しかしそれを解くには一昨日の最初から説明しなければならない。長くなる話を始めようと口を開きかけた時に、携帯電話に着信が。
『ソウちゃん?』ソウの最愛のイトコ、レンだった。
「レン」思わず顔が綻ぶ。しかし。
『昨日スゴいの見ちゃったって知り合いが撮ったの見せてくれたんだけど』嫌な予感がする。
『ソウちゃんが映っててびっくりした』
「へ、へえ」レンの声が聞けて嬉しい筈なのに不安感が広がっていく。
『彼、ソウちゃんの事すごく好きなんだなって思ったよ?いつから付き合ってるの?レンに教えてくれないなんて寂しいな』やはり、列車の出来事だ。そして完全に誤解されている。
「あのさ、レン。違うんだよ」
『あ。もう行かなきゃ。今日はおじ様と会社の事で会わなきゃいけないの。彼、紹介してくれるよね?』
「いや、ちょっと待って」
『ダメなの?レン、会いたいなぁ。ソウちゃんの彼氏に』
「ぅうん。また、今度な」
『いいの?ありがとう。ソウちゃん大好き。じゃあまたね』
一方的な通話が終了する。1番知られたくなかったレンに知られてしまい、がっくりと肩を落とす。

色々と1度に起こり過ぎ、なるようにしかならない。と自分に言い聞かせて取りあえずは何も考えず目の前の仕事に集中しようと決めて作業に取り掛かった。