文化祭、一部の生徒を活気づかせ、一部の生徒に倦怠感を与える学校行事。その出し物にて女装する事になった矢逆一稀は衣装合わせの途中、部活の後輩に呼ばれて衣装のドレスのままで部室へと向かっていた。テーマは色々な物語の登場人物で、一稀は不思議の国のアリスの衣装だった。金髪のロングヘアのカツラも着けている。女装姿で出歩くのには訳あって慣れているので歩き方も堂々としたものである。
本番を明日に控え、準備に追われる生徒達が慌ただしく行き交う廊下を曲がる。と、確かに自分が通う学校の校舎には違いがないのだがそこに漂う空気が変わって見え、一稀は歩みを止めた。
「・・・青」目の前の廊下に青い靄がかかっているように見える。
立ち止まってものの数秒、一稀はくるりと踵を返した。触らぬ神に何とやら、以前経験した出来事からか怪しげな所からはさっさと退散すべしと判断したのだ。しかし、ふわりと舞ったスカートの端が靄に触れたその時、グッと掴まれてそのまま引っ張られる。
「あっっ!」予想もしていなかった状況に足を踏ん張る事も出来ずにそのまま靄の中へと引きずり込まれた。
青い靄が霧となって一面を覆う。その中を逆さに落ちて行く。カッパの王子との出会いで色々と不思議な出来事を経験したおかげか一稀は割と冷静で、そういえば前にもこんな風に落ちて行った。あの時は燕太も悠も一緒だった。などと思っていると右手に違和感を感じ、その方へ視線を動かした。そこには自分の右手を握る誰かの手があった。
顔を見ようと手から腕、肩へと更に視線をずらして行くが相手は一稀とは逆向きの状態だったので頭しか見えなかった。しかしその頭には兎の様な耳がついていて時折ピクリと動いていた。
カッパが居るのだから兎の耳が生えた人間がいてもおかしくはないだろう。と、あっさり納得する。
その人物に話し掛ける気にもならず、そのままぼうっと霧をながめる。どれくらい落ち続けたのか、霧が薄くなって周りの景色がぼんやりと見え始めた頃、兎耳の人物が握った手を引き寄せ一稀を横抱きにした。ようやく見えたその人物の顔を見て大きく目を見開いた。
「え、燕太!?」良く見知った親友と同じ顔が目の前にある。しかし親友の陣内燕太よりは少し年齢が上なのか顔つきが大人びているし、軽々と一稀を抱いていられる程逞しく「探しましたよ。アリス嬢。何故あんな所に?」落ち着いた物言い、燕太よりも低い声。当然だが別人だ。
「アリス?」そして自分は全くの人違いである。そもそも嬢と言うからには“アリス“は女性なのだろうから性別からして違う。が、今の格好ではその点は間違えられても仕方がないのだが。
「違います。僕はアリスさんでは」慌てて説明をしようとするが、懐中時計を取り出し時間を確認した兎耳の青年は一稀を抱いたまま、急がなくてはとスタスタ歩き始めた。
「ちょっと待って下さい。違うんです!」
「アリス嬢、今度は何の遊びですか?今は時間がないので後でお付き合い致します」全く取り合ってくれない。
「あの、本当に別人です。僕はアリスさんじゃありませんっ」耳に響くほどの大声で言い放つ。
「確かに、アリスじゃねえよなぁ」やっと気付いてくれたのかと思ったが、その声は兎耳の青年ではない別人の物だ。何処から聞こえるのか周りを見回す。
「どういうつもりだ」不機嫌そうな声音に視線を向けると彼が上を向いていたので、同じ方を見る。そこには太い木の枝に寝そべる様に乗っている猫耳の生えた青年がいた。
「悠・・・?」今度はもう一人の親友と同じ顔をしていて、彼も久慈悠よりは年上に見える。フワリと地面に降り立つとまだ驚いている一稀の顔を間近に覗き込んできた。
「どういうも何も拉致られてカワイソウな少年を助けてやるのさ」ニヤニヤと悠はしないだろう笑みを浮かべて答える。
「少年?誰が」眉間に皺を寄せる兎耳の青年の腕から抜き取る様に一稀を離し自分の前に立たせると、どうやったのか一瞬で一稀のドレスの上半身を脱がせてしまった。
「えっ?ちょっと!!」男とはいえ見知らぬ人間に上半身を晒されてしまい焦った一稀は慌てて腕で隠す。
「な?お前の完全な人違いだろ?」笑いを含んだ声が一稀の頭上で言った。無表情で一稀を見つめ続けていた兎耳の青年は一歩前へ出ると跪いて謝罪する。
「申し訳ない。あまりにもよく似ていたので勘違いをしてしまった」
「いえ、分かってもらえたんならそれで・・・」そこまで大仰に謝られても困るといった風の一稀は歯切れ悪く答えた。
「あの、元の所にはどうやって戻ればいいんですか?」聴きながらドレスの袖に腕を通す。
「何だ、もう帰りたいのか?」その肩を抱き寄せまた顔を寄せてくるので思わず後ろに上体を反らす。
「用事があるんで」
「勿体ねェな。滅多に来れる所じゃねえんだぜ?ちょっと散歩して帰っても十分間に合うさ」
「いえ、結構です。っていうかアリスさんを探さなくていいんですか?」
「アリス?ああ、俺は用ないし、アイツは自由だからなどこでも自分の好きな所へ行くのさ。な?白ウサギ」兎耳の青年は白ウサギと呼ばれているらしい。確かに耳が白いし服装も白が基調だ。そのままだな、と小さなツッコミを入れたくなるネーミングセンスだ。では猫耳の青年は?耳は赤みがかった紫色で服装もそうだ。紫猫とか?
「チェシャ、そうはいってもこのまま帰って来るのを待っていては遅れてしまうだろう」何でチェシャ、そこは赤紫猫とかじゃないのか。そういえば、そんな名前が出てくる物語があったような。と考える一稀は“不思議の国のアリス“を読んだ事がない。主人公のアリスだけは有名なので姿形くらいは知っているという程度だ。なのでアリスという名前が出ていても目の前にいる青年達や今いる場所がその物語に関係あるのでは、とは思わなかった。
「・・・よな?」つらつらと考えていた所に突然耳打ちされて反射的に体を退く「え?何?」ムズムズする耳を擦りながらチェシャと呼ばれる青年を見た。
「だから、アリス探すの手伝ってくれるよな?」
「いや、無理です。時間ないので」間髪入れずに即答すると大袈裟な動きで後退りし、信じられないといった顔をされた。
「少年、カワイイ顔して中々に冷酷だな」
「は?どういう意味ですか?」
「この白ウサギさんが処刑されてもいいんだぁ」白ウサギの肩に手を置いてこれみよがしなため息をつく。「どうする?日暮れまでに女王の所にアリスを連れて行かないと命ねえのになあ?」
「いや、彼には何の義務も責任もない。私がアリス嬢を見失い、彼と見間違えてしまったのだから」一稀を責めるのは筋違いだとチェシャ猫を諭す。
「申し訳ない。ここからの出口へと案内しよう」死ぬかもしれない状況にあって冷静で他人を気遣って見せる白ウサギに妙な罪悪感と同情の念を抱いた一稀はフッと息を吐き「わかりました。お手伝いします」と言った。
しかし、と戸惑いを見せる白ウサギに「他人でも友達と同じ顔した人が死んだりしたら嫌なんで」と返した。ノシっとと肩にチェシャ猫が腕を回してくる。
「そうこなくっちゃな。少年」
「重いんでどいて下さい」この猫は距離感がおかしい。ベタベタし過ぎだ。腕を払う。すると今度は腰に手を回してきたが肩よりは邪魔にならないし面倒なので放っておいた。
「まずはどこを探すんですか?」白ウサギに聞く。
「そうだな。一番近いのはドードーの所か」並んで歩き始める三人。果たして日が暮れるまでに無事にアリスを見つけられるのだろうか・・・。
さらざんまい、私的にはトオカズでした。このアニメ、歌がOPもEDもとても良かった。この話はアニメ雑誌の表紙のアリスコスプレに触発されて書いたんですが、登場人物をアリスの誰に当てはめるかで悩んでそのままになってしまいました^_^;